007_海野

 

 
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「とっくの昔にすり替わっていたんだよ。あの姉妹は」

「気がつかなかった。たしか、11は歳が離れているって言っていたのに」

「妹の方はいたって普通さ。歳相応な見た目だよ。平凡な人生の話をしようか。ある日ね、彼女が少女の頃だよ。庭に咲いていた薔薇についた水滴を飲んだんだって。なんだかその頃にはもう父親に、薔薇には刺があることを教えられていて、刺のない花の部分にだけさわってできることをしたんだよ。少女らしくね。そしたら、その夜に、栗色だった彼女の髪の色は金色に、肌のそばかすは消えて真っ白に、母親似だったとがった唇は父親に似て丸く……—そう、姉そっくりだ。「似たのはあの子のほうなのよ」ってあの女は言うんだ。実際彼女には、あ、姉のほうだよ、彼女の言葉遣いや仕草には、平凡な人生を感じさせられる。あぁ、何て言うんだろう。妹のほうはね、あれは—むしろあれのほうが、幼すぎる。顔立ちの良さから多少大人っぽく見えるがね。もちろん、普通じゃないのは姉の方さ。ここだけの話、あれは化け物だよ。隣の家のご婦人なんて、アレは生き血を吸って生きるヴァンパイアだ、なんて本気で話していたよ。私も実際に外で会ったのはたった一度、それも街灯の少ない夜の小道でのことだけれども、そういった印象を受けたね。幽霊だとか、幻だとか、そんな生易しい印象ではない、足がすくんで動けなかった。ただ恐ろしかった。そんな私を見て彼女は笑ったけれどね。あのとき程、人に侮蔑された経験はないな。人であれば、だけど。」

「君は彼女と一月もいたんだろ?二人きりで」

「そうだよ。正確には28日と4時間と17分」

「何か、おかしいところはないかい?例えば、、、」

「首もとに歯形でもついてる?」

「う、うん。まぁ」

「よく見えたね。暗いのに。まあ、何も変わっていないよ。そもそも僕の前では彼女はいたって普通だったんだ。入れ替わったのも気がつかなかったくらいに」

「なぁ、一つ訊いていいかい?」

「もちろん」

「彼女はいったい何人殺したんだ?」

「一人」

 

 

確かに、あの時、彼の前輪のキャリパーブレーキは異音を発していた。しかし、まさか火花なんか上げていなかったはずだ。それが引火して、こんなことになったなんて考えられない。おそらく何か仕掛けがしてあったはずなのだ。

逃げ集団を一人仕切っていたロベルトの提案は意外なものであったはずだ。少なくとも長年アシストとして何人ものエーススプリンターをゴール前で発射させてきたホセにとっては何か裏があるとしか思えなかった。それこそがロードレースであり、4カ国語が飛び交うこの11人の逃げ集団の中で、高度な知能戦が繰り広げられているとも思えなくもなかった。しかし、どのチームの無線も静かだった。総合優勝、山岳賞もポイント賞もどれもほぼ確定したレースは半ば緊張感を失いかけていた。スプリンターたちは明日の平坦ステージに備えて談笑しながら足をためていた。総合勢が全員プロトンの中にいる以上、この逃げ集団を儀礼的に山岳前に捕まえ、まだ勝ちのないクライマーや若手、エースを守る必要もなくなったアシストたちが飛び出すだけだ。

「ペースを上げないか?俺が半分近くを牽いてもいい」

 

 

 

今日もポピーが幸せでありますように。

「明日、死ぬ」と、予測変換機能は「あ」という言葉から紡ぎだそうとした。

わたしがスマートフォンに入力しようとした文字は、「赤坂 ラーメン」だったのにね。

 

「ラーメンという食べ物は現代美術といっても過言ではないと私は思うがね。水野君、君はどうだい?どう思う」

私はあえて勢いよく麺を啜りながら答えた。

「そうですね。複合的なインスタレーションのようでもあり、単色で塗られた抽象画のようでもありますね。立体的であると同時に酷く平面的であるというか」

「そうだね。君は少しずつ私側に近づいているようだ、ただ」

私はわざとらしく、箸をどんぶりの上に置いて言った。

「ただ、何が足りないんですか?」

化学調味料かな」

「ご冗談でしょう?」

「いや、本当だよ。君はあまりにも自然で、健康的で、そのせいで私なんかは手をつけられずにいる。いいものが、いいとは限らない。それが現代美術である所以でもある」

「渡し箸は不行儀ですよ、先生」

 

「渋谷の道玄坂を上ったあたりかな。そうそう、246と交わるあたり。何もない所といえば何もない所だけど、君ならきっと分かると思う。 ヴァンパイアにしかわからない暗号のグラフティ、つまり落書きがある。ペンキに血を混ぜた特別製だからすぐ匂うと思うよ。その看板のある路地を入っていくと、『ドラキュラ』って名前のラブホテルがある、3時間3980円だとか、そんな表記がある古びたホテル。そこの受付でトマトジュースを注文するんだ。まぁ、一応他の客がいないかは確認してね。それからエレベーターに乗る。フロントがある一階からは上昇しか出来ないように見えるけど実は地下がある。そうだよ、受付の合い言葉で動作するようにしてくれる。2階から5階までの全てのボタンを押すんだ。深く深く降りていくから。そこが例の場所さ。もし、ナイフかなんかの武器を持っていくつもりならばやめた方がいい、エレベーター内で既にスキャンされているからね。扉が開いた瞬間に蜂の巣さ。ヴァンパイアはヴァンパイアらしく戦うといい。君もきっと気に入るだろう。彼らを。君自身を。そこが我々の本当居場所だから。渋谷は渋谷らしくね」

 

 

頭蓋の裏側を金銀赤黄白青色とりどりの火花がかすめていく。
確かに見たのだ、散る火花、弾ける火薬、手持ち花火はちゃんと花火師だか工員だか機械だかの仕事を評価した。

 

ポピーのために仕立てた祭壇の前に座る。
「ポピー、わたしがウインクするたびにシャッターが切れるの。どう?」
左手で前髪を梳き上げる。
金銀赤黄白青色とりどりのラメが眉の上を左から右に悪戯のように美しく刷かれている。
「ね。」
わたしは左手を下ろす。

わたしは毎日ポピーの幸せを祈る。

006_しのと

「とっくの昔にすり替わっていたんだよ。あの姉妹は」

「気がつかなかった。たしか、11は歳が離れているって言っていたのに」

「妹の方はいたって普通さ。歳相応な見た目だよ。平凡な人生の話をしようか。ある日ね、彼女が少女の頃だよ。庭に咲いていた薔薇についた水滴を飲んだんだって。なんだかその頃にはもう父親に、薔薇には刺があることを教えられていて、刺のない花の部分にだけさわってできることをしたんだよ。少女らしくね。そしたら、その夜に、栗色だった彼女の髪の色は金色に、肌のそばかすは消えて真っ白に、母親似だったとがった唇は父親に似て丸く……—そう、姉そっくりだ。「似たのはあの子のほうなのよ」ってあの女は言うんだ。実際彼女には、あ、姉のほうだよ、彼女の言葉遣いや仕草には、平凡な人生を感じさせられる。あぁ、何て言うんだろう。妹のほうはね、あれは—むしろあれのほうが、幼すぎる。顔立ちの良さから多少大人っぽく見えるがね。もちろん、普通じゃないのは姉の方さ。ここだけの話、あれは化け物だよ。隣の家のご婦人なんて、アレは生き血を吸って生きるヴァインパイアだ、なんて本気で話していたよ。私も実際に外で会ったのはたった一度、それも街灯の少ない夜の小道でのことだけれども、そういった印象を受けたね。幽霊だとか、幻だとか、そんな生易しい印象ではない、足がすくんで動けなかった。ただ恐ろしかった。そんな私を見て彼女は笑ったけれどね。あのとき程、人に侮蔑された経験はないな。人であれば、だけど。」

「君は彼女と一月もいたんだろ?二人きりで」

「そうだよ。正確には28日と4時間と17分」

「何か、おかしいところはないかい?例えば、、、」

「首もとに歯形でもついてる?」

「う、うん。まぁ」

「よく見えたね。暗いのに。まあ、何も変わっていないよ。そもそも僕の前では彼女はいたって普通だったんだ。入れ替わったのも気がつかなかったくらいに」

「なぁ、一つ訊いていいかい?」

「もちろん」

「彼女はいったい何人殺したんだ?」

「一人」

 

 

確かに、あの時、彼の前輪のキャリパーブレーキは異音を発していた。しかし、まさか火花なんか上げていなかったはずだ。それが引火して、こんなことになったなんて考えられない。おそらく何か仕掛けがしてあったはずなのだ。

 

 

今日もポピーが幸せでありますように。

「明日、死ぬ」と、予測変換機能は「あ」という言葉から紡ぎだそうとした。

わたしがスマートフォンに入力しようとした文字は、「赤坂 ラーメン」だったのにね。

 

「ラーメンという食べ物は現代美術といっても過言ではないと私は思うがね。水野君、君はどうだい?どう思う」

私はあえて勢いよく麺を啜りながら答えた。

「そうですね。複合的なインスタレーションのようでもあり、単色で塗られた抽象画のようでもありますね。立体的であると同時に酷く平面的であるというか」

「そうだね。君は少しずつ私側に近づいているようだ、ただ」

私はわざとらしく、箸をどんぶりの上に置いて言った。

「ただ、何が足りないんですか?」

化学調味料かな」

「ご冗談でしょう?」

「いや、本当だよ。君はあまりにも自然で、健康的で、そのせいで私なんかは手をつけられずにいる。いいものが、いいとは限らない。それが現代美術である所以でもある」

「渡し箸は不行儀ですよ、先生」

 

 

頭蓋の裏側を金銀赤黄白青色とりどりの火花がかすめていく。
確かに見たのだ、散る火花、弾ける火薬、手持ち花火はちゃんと花火師だか工員だか機械だかの仕事を評価した。

 

ポピーのために仕立てた祭壇の前に座る。
「ポピー、わたしがウインクするたびにシャッターが切れるの。どう?」
左手で前髪を梳き上げる。
金銀赤黄白青色とりどりのラメが眉の上を左から右に悪戯のように美しく刷かれている。
「ね。」
わたしは左手を下ろす。

わたしは毎日ポピーの幸せを祈る。

005_海野

「とっくの昔にすり替わっていたんだよ。あの姉妹は」

「気がつかなかった。たしか、11は歳が離れているって言っていたのに」

「妹の方はいたって普通さ。歳相応な見た目だよ。平凡な人生の話をしようか。ある日ね、彼女が少女の頃だよ。庭に咲いていた薔薇についた水滴を飲んだんだって。なんだかその頃にはもう父親に、薔薇には刺があることを 教えられていて、刺のない花の部分にだけさわってできることをしたんだよ。少女らしくね。そしたら、その夜に、栗色だった彼女の髪の色は金色に、肌のそばかすは消えて真っ白に、母親似だったとがった唇は父親に似て丸く……—そう、姉そっくりだ。「似たのはあの子のほうなのよ」ってあの女は言うんだ。実際彼女には、あ、姉のほうだよ、彼女の言葉遣いや仕草には、平凡な人生を感じさせられる。あぁ、何て言うんだろう。妹のほうはね、あれは—むしろあれのほうが、幼すぎる。顔立ちの良さから多少大人っぽく見えるがね。もちろん、普通じゃないのは姉の方さ。ここだけの話、あれは化け物だよ。隣の家のご婦人なんて、アレは生き血を吸って生きるヴァインパイアだ、なんて本気で話していたよ。私も実際に外で会ったのはたった一度、それも街灯の少ない夜の小道でのことだけれども、そういった印象を受けたね。幽霊だとか、幻だとか、そんな生易しい印象ではない、足がすくんで動けなかった。ただ恐ろしかった。そんな私を見て彼女は笑ったけれどね。あのとき程、人に侮蔑された経験はないな。人であれば、だけど。」

「君は彼女と一月もいたんだろ?二人きりで」

「そうだよ。正確には28日と4時間と17分」

「何か、おかしいところはないかい?例えば、、、」

「首もとに歯形でもついてる?」

「う、うん。まぁ」

「よく見えたね。暗いのに。まあ、何も変わっていないよ。そもそも僕の前では彼女はいたって普通だったんだ。入れ替わったのも気がつかなかったくらいに」

「なぁ、一つ訊いていいかい?」

「もちろん」

「彼女はいったい何人殺したんだ?」

「一人」

 

 

確かに、あの時、彼の前輪のキャリパーブレーキは異音を発していた。しかし、まさか火花なんか上げていなかったはずだ。それが引火して、こんなことになったなんて考えられない。おそらく何か仕掛けがしてあったはずなのだ。

 

 

今日もポピーが幸せでありますように。

「明日、死ぬ」と、予測変換機能は「あ」という言葉から紡ぎだそうとした。

わたしがスマートフォンに入力しようとした文字は、「赤坂 ラーメン」だったのにね。

 

「ラーメンという食べ物は現代美術といっても過言ではないと私は思うがね。水野君、君はどうだい?どう思う」

私はあえて勢いよく麺を啜りながら答えた。

「そうですね。複合的なインスタレーションのようでもあり、単色で塗られた抽象画のようでもありますね。立体的であると同時に酷く平面的であるというか」

「そうだね。君は少しずつ私側に近づいているようだ、ただ」

私はわざとらしく、箸をどんぶりの上に置いて言った。

「ただ、何が足りないんですか?」

化学調味料かな」

「ご冗談でしょう?」

「いや、本当だよ。君はあまりにも自然で、健康的で、そのせいで私なんかは手をつけられずにいる。いいものが、いいとは限らない。それが現代美術である所以でもある」

 

 

 

 

ポピーのために仕立てた祭壇の前に座る。
「ポピー、わたしがウインクするたびにシャッターが切れるの。どう?」
わたしは毎日ポピーの幸せを祈る。